ニンゲン交差点EP2 【出会いは阿寒湖】
阿寒湖にいながら、日本全国、世界各国の方々と知り合いになれる...
っていうのも阿寒湖の魅力のひとつかしら。。。
などと阿寒湖ニンゲンの私の数十年前の阿寒湖での出会いに思いを馳せて
バイト仲間を通して己の僻地精神露呈を感じた若き日の交差点。。。
バブル経済崩壊後、「背景やシナリオを知る」観光といった価値基準による観光へと
資質的大転換が進む中、阿寒湖ではまだまだ贅沢に見える旅行を楽しむ傾向にあり、
エージェント送客による団体客依存度を益々高め、観光バスが何台も往来し、
大量、効率化、「与えられた観光」の時代の最中だった。
観光ホテル、土産品店、民芸品店、飲食店、多種多様な業種のアルバイト先があり
全国から若い人が集まってきた。
今思うと、確かにあの頃って地元育ちの同年代ってホントに少なかったように思う。
仕事が終わるとそれぞれのアジト的な場所があって、大概いつのまにか集結しており
酒を飲んだり、音楽を聴いたり、おしゃべりしたり、気の合う仲間が朝まで一緒に
楽しく過ごしていたワケである。
今では完全に叱られる事になってしまったが、好きな楽器と好きなお酒を片手に
湖岸で焚き火をしながら雄阿寒岳をバックに壮大に昇る月を眺めたり、
満天の星の空を見上げたりした。
中国に留学経験がある中国語マスターのR君、在日韓国人4世のY君、神奈川県出身の美人のMちゃん、前髪斜めぱっつんの長身Wちゃん、神奈川出身阿寒湖在住のH君、ドレッドヘアのやさしいイケメンY君。
沢山のアルバイト仲間がいた。
私はとあるホテルの正社員だったのだが。。。
外出禁止なのに毎夜、職場の寮の窓からこっそり抜け出してきて遊びに参加していたYちゃんは小樽出身。
阿寒湖でのアルバイト終了後、イタリアで数年間の革細工修行を経て
現在は帰国し本格的な革職人として自身の地元の店舗で素敵な革製品を製作販売しているM君。
インド旅行をきっかけに日本で指折りのシタール奏者になった人もいるな。。。
夜な夜なとあるホテルの大浴場を満喫し、結構な大人数で湯上り場を占領したっけね。。。
なつかしい。。。
(しばし遠い目........)
思い出の友人話は尽きなくて脱線。。。。
話を元に戻すとそんな仲間と2ヶ月に及ぶ旅行にも行った。
海外旅行したいと職場に休暇願いを出したけど、
「お前に海外なんぞはまだ早いわw」と鼻で笑われ却下(爆)
一年待って再度願いいれしたけど結果は同じ。
ならばと退職願いに切り替えた挙句の後先考えなしの無謀な出発となったのだけれど。
そうやって育ってきた環境が違う同年代の若者同士が海外を旅する。
後々そんな番組が流行るワケだけど、私たちはそういう意味ではわりと先駆者なのね。
時代の先端をいっていたのだ!とか言ってみる。
生活を共にすると、育った場所で培ってきた人間性や
価値観の違いがはっきり見えてきて本当に新鮮な発見だったものだ。
自分がいかに狭い地域独特のみんなと一緒で同じようなものの考え方で、
その地域のみの自分の在り方の中で生きてきたか...など。。。
己の未熟差加減を痛感して倒れそうになりながら、
悲壮感丸出しで夜の北京で泥酔したまま放浪の旅に出て仲間を心配させて、
しこたま叱られたりした(爆)
よその人の価値観に対して地元民が何処と無くひややかだったりするのって、こういう狭い地域独特の保守的な「格式」みたいなものなのかもしれないな...などと思ったり。
それじゃなくても阿寒湖は観光地で様々な国や地域から訪れる観光客が沢山いる。
そこで生活している生活者、阿寒湖ニンゲン、阿寒湖人も沢山いる。
アルバイト同士で縁を結び所帯を持ち、現在も阿寒湖に住んでいる方たちも沢山いる。
私にそんな縁はまだないが。。。(下線強調)
現在、「アルバイト」は「派遣」に変わり必要に応じて日々加減される要員でしかない。
阿寒湖での出会いはお客様だけに限られる話ではない。
今日、一緒に働いている隣にいるその人は、阿寒湖で一緒に生活しているよそから来た同じ阿寒湖人かもしれない。
人と人が互いに関心を持ち、尊重し、思い合えれば良い出会いがあるはず。
それが一過性の出会い、一時的なご縁だったとしてもどんな形であれ、
阿寒湖で繋ぐご縁をこれからも大切にしていきたいと思うし
沢山のご縁が生まれる阿寒湖にしたいと思う。
阿寒湖で出会い一緒に過ごしてきた仲間との経験は
今の自分を作るための大事なエネルギーだった。
狭い阿寒湖内でも色んな人々が交差する人間模様。
興味深くていとおかし。。。
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